救命救急時代の回顧録
僕の人生の中で深く、そして強く印象に残っている期間というのが救命救急時代の3年間(専属でやっていたのは2年間ですが)です。
その3年間の回顧録を記載してみようと思います。
巷には救命センターの名の付く施設は思った以上にあるのですが、本当にそれを専門にやっている施設は本当に少ないです。
当時、兵庫県にいましたが、本気でやっていたのは兵庫県災害医療センター、加古川医療センター、但馬医療センターの3つくらいしかありませんでした。
愛知県も本気でやっている施設は4~5個位しかないのではと思います。
最初だけ診るのではなく、救命した後はICU・HCUで救急医が主治医でその後の治療にあたります。
開胸・開腹手術も救急医でやっていました。
どのような患者さんが対象になるかというと
①高所からの飛び降り(自殺企図)
②墜落(仕事中)
③薬物誤飲(自殺企図) 一番強烈だったのはラウンドアップ(除草剤)
④高エネルギー外傷(高速道路での事故や、跳ねられ事故)
⑤その他の外傷(刃物で刺された、機械に挟まれたなど)
⑥致死性不整脈
⑦広範囲重症熱傷
⑧脊髄損傷
それぞれの種類ごとに印象に残っている症例について簡単に説明を
①高所からの飛び降り(自殺企図)
Aさん:9階からの飛び降りで一命をとりとめる⇒途中で街路樹に引っ掛かりながら落ちたので助かった。
本人としては本気だったので、これが良かったのかどうかはわかりませんが。。。
Bさん:学校の4階から勢い余って飛び降り(本人としてはカッとなったそう)。なんとケガは肋骨骨折と外傷性血気胸のみで済んだ。
スポーツマンで体が屈強であったことも理由かもしれませんが、先生の車の上に落ちてクッションになったので助かった様子。
車は廃車になったらしいですが、人助けができたと先生は納得できたのかどうかは不明です。
②墜落(仕事中)
Aさん:50代の職人さんで、足元を滑らせて屋根から墜落しての胸腰椎での脱臼骨折・下肢の完全麻痺。
緊急で手術を行いましたが、麻痺は戻らず。本人さんも絶望的な感じで辛そうでした。
当時、ちょうどIPS細胞やSTAP細胞が報道されている時期で、光がありますとお話をしたのを覚えています。
しかし、STAP細胞については後日あのようなことになってしまい、僕も悲しくなりました。
Bさん:2階から柿をとっていて墜落した70代女性。骨盤骨折・頭部外傷(外傷性SAH)。
出血性ショックのため緊急でTAEという止血操作をしている間に外傷性SAHが悪化(出血拡大)して、意識が戻ることはありませんでした。
命は助かりましたが、植物状態になってしまっては意味がないと強く感じています。
刻一刻と状況が変わる中で、適切な判断を下して頭蓋内血腫を逃がす操作を同時に行っておれば助けることができたのではないか、と。
僕自身が指揮を執って診療にあたっていた患者さんでしたので、特に印象に残っています。
③薬物誤飲(自殺企図)
Aさん:ラウンドアップを飲んで自殺を図られた患者さんは強く印象に残っています。
あらゆる治療手段を用いて救命処置をしました(人工呼吸器・血液浄化・腸管壊死のため腸切除・血漿交換など)が最終的には亡くなりました。
最後は肝不全のため、体が真っ黒で浮腫も強く、とてもではないですがご家族に見せられるような状態ではありませんでした。
ある程度のところで救命処置を止める判断も必要だと思い知らされた症例でした。
その他:一度自殺企図をする人は、何度も繰り返します。薬物やリストカット、飛び降りもそうです。
繰り返された際の医療者としての虚しさは計り知れません。ただただ、むなしい気持ちだけでした。
④高エネルギー外傷(交通事故など)
Aさん:高速道路での事故で、僕が勤務して2日目の当直中の症例でした。
ドクターカーで迎えに行かれ、状況的には重症頭部外傷による意識不明状態だったので直行でCT撮影。
血腫除去のため穿頭(頭蓋骨に穴をあけて血を除去すること)すると天井まで血が昇るほどの症例でした。
それまでは、そんな重症外傷など見たことがなかったので、度肝を抜かれると同時に、何もできなかった自分を思い知らされました。
Bさん:高速道路でトラックと喧嘩して車外放出された症例。両側重症肺挫傷、血気胸、脾臓破裂、四肢多発外傷、頭皮剥奪創(10×10cm程度皮膚欠損し、完全に頭蓋骨が見える状態)など。
真夜中に救急医4人がかりで処置にあたり、救急室で緊急で脾臓摘出術やECMO(人工心肺装置のようなもので、新型コロナ肺炎の重症例で使われているものと同様)
などを行って一命をとりとめました。
両側の肺挫傷もかなり重症でしたので、ECMOは2週間離脱できず、毎日3回気管支鏡を用いて血痰除去。
頭皮の剥奪創に関しては、頭蓋骨骨皮質を削って海綿骨を露出させ、骨髄から肉芽形成を促すという魔法のような処置と皮膚移植で回復。
その他の多発外傷もそれぞれ手術。
入院後も一番手がかかった症例でしたが、なんと独歩で退院(目立った後遺症なし)しました。
20代前半という若さもあったのでしょうが、頑張って治療をした甲斐があった症例でした。
今思っても、あれほどまでの外傷でよく助かったものだと感じています。
Cさん:乗用車でなぜか線路を走り、電車と正面衝突の症例。
ドクターカー要請され、現場に急行しましたが、頭蓋破裂で救命不能と判断。
脳が飛び出ている外傷は後にも先にもこれ一例のみです。
Dさん:怒り狂った30代の息子が両親と祖母をバットで殴打しての事件。
ドクターカーで現場急行し、現場に到着した際には犯人は取り押さえられていたとのことでしたが、身の危険を感じて震えたのを覚えています。
祖母は前腕の骨折のみの所見で近隣に搬送してもらい、父親は心肺停止状態(眼球破裂あり)でトリアージ的には黒で近隣で死亡確認してもらう。
母親は意識不明だが、まだ救命可能との判断で母親だけ連れ帰って救命処置。
細かい外傷がどういうものがあったかまでの記憶が今はないため記載できず。
事件系の症例は自分が巻き込まれる可能性があるため、恐怖感が結構あります。
⑤その他の外傷
Aさん:家族に心臓を刺されての受傷で救急搬送。緊急手術が必要で、救急室で開胸手術を行う。
休日であったため、バイトの麻酔科の先生をお呼びして途中参加してもらう。
それまでは救急医が麻酔も兼任して処置を継続。
なんとか心臓を縫合して助かりそうだぞというところで、いきなり心臓破裂。
一同、????
麻酔科の先生に何かしました?と聞くと、血圧が下がってきたのでアドレナリンを投与した、と。。。
なぜそんなことを。。。と思ってもあとの祭り。
断裂部がさらに広がって縫合不能でお亡くなりになってしまいました。
その一件が無くても亡くなったのかもしれませんが、決して忘れることのできない一例です。
⑥致死性不整脈
Aさん:僕のドクターヘリの初フライトの症例でした。家島という瀬戸内海の島での心肺停止での救急要請で、瀬戸内海のきれいな景色を見ながら飛んだ記憶がよみがえります。
状況としては、心室細動による致死性不整脈で、目撃ありの心肺蘇生をバイスタンダーで行っていた症例でした。
アドレナリン投与およびAEDでの除細動を現地で繰り返しましたが、心室細動は解除できず、アンカロン150mg投与しても改善しませんでした。
(当時ドクターヘリの処置薬剤には1アンプルしか搭載されておらず、推奨は300mg)
この症例はいわゆるVf stormというもので、循環器の先生はテンションがあがる症例だと思います。
蘇生処置の合間に気管挿管も行いましたが、軽自動車のミニバン内で行ったため、体勢的にこんなに難しい状態でやったことはなく、よい経験になりました。
蘇生処置をしている間に一時的に洞性脈に戻ることがあったので、意を決して離陸し、近隣の姫路循環器病センターへ搬送しましたが、その後その患者さんがどうなったかは分かりません。
もし助かってくれていれば、ドクターヘリの存在意義が高まる症例だったと思います。
⑦広範囲熱傷
だいたい2か月に一例くらいのペースで重症熱傷が運ばれてきていました。
熱傷の担当になると、その先の人生2~3か月がブルーになります。
毎日の熱傷処置が義務になってしまうからです。
たとえ休日であろうが、AM10:00には病院に来て熱傷処置を率先して行うという暗黙のルールがあるため、患者さんが治るまでは休日0となります。
最悪なのは、自分の休日に植皮術が予定されると、丸1日以上が潰れます。植皮も救急医が行います。
最も担当したくない症例が熱傷でしたので、思い出すだけでちょっとブルーになります。
その中でも印象に残った方を2名。
Aさん:85歳のおじいさまで、野焼きをした際に巻き込まれたとのことでした。
両上肢と鼠径部以下の下肢で全周性に3度熱傷がありました。熱傷範囲としては40%程度で、burn indexと年齢で表される救命率では救命不能とされるレベルでした。
これまた、治療の甲斐あって一命をとりとめました(治療途中で右下肢は阻血に至り、大腿部での切断が必要となりましたが)。
長期の治療となったせいもあり、ご家族を認知できないほどの状態でしたが、微笑むことなどはできました。
しかし、数千万円をかけてこの治療を行った結果を考えると満足のいくものではなかったのかなと感じています。
費用対効果を考えるなら、救命医療は良くない分野だと思いますが、こういうところがジレンマになります。
Bさん:晩酌中にうとうとしていたようで、近くにあったストーブから衣服が引火してのヘソ以下での重症熱傷でした。
ドメスティックバイオレンスがひどく、ご家族さんからは見放されているような患者さんでしたため、救命の希望はありませんでした。
可能な範囲で、皮膚移植などの処置を行っておりましたが、急性腎不全を来し、血液浄化(俗にいう透析)が必要となり、治療を継続しておりました。
頻回に血液浄化が血栓化して切り替えを行っていたのですが、いよいよご家族の方から血液浄化を継続しないでほしいという申し出があり、結局は亡くなられました。
いろいろと人生も含め考えさせられる症例でした。
⑧脊髄損傷
Aさん:海水浴で飛び込みをしていて遊んでいたそうで、溺れて心肺停止ということで救急要請されました。
お友達による蘇生処置などが功を奏し、ドクターカーで現場到着した際には蘇生されている状態でしたが、四肢が完全麻痺の状態でした。
呼吸状態も良くなく、気管挿管をしてから搬送しようかとよぎりましたが、頚髄損傷が強く疑われたため、マスク換気のみにとどめて病院で経鼻挿管(気管支鏡併用)を行いました。
(頚髄損傷がある症例では気管挿管は頚髄損傷を悪化させる可能性が高いため)
呼吸状態も改善した段階で、抜管をしたところ、四肢は淡く動きましたがとても動ける状態ではなく、社会復帰は厳しいことが想像されました。
その後、リハビリ病院に移られてから根性を出してリハビリをされたそうで、半年後に独歩で挨拶にきてくれて、驚いたとともに、非常にうれしかったのを思い出します。
社会復帰もされて、良い結果に結びつきました。
Bさん:ふくよかな人で、農地の斜面を転がるようにして転落して受傷した頚髄損傷でした。
非骨傷性頚髄損傷で完全四肢麻痺の状態になり、肺炎治療を必要とし、気管切開も行いました。
キャラクターがとても良い人で、強い思い入れのあった患者さんの一人でした。
リハビリの甲斐なく、四肢麻痺の改善は認めませんでしたが、約2か月の治療の結果、内科的にも非常に安定し、一般病院に転院となりました。
転院後、1週間で転院先から肺炎治療のため再度診てほしいという依頼があり、搬送されてきましたが、搬送中の救急車内で心肺停止となりました。
病院到着後も蘇生処置をしました(蘇生中に泣きながら心肺蘇生を行った記憶があります)が、回復せず患者さんのご家族もそれ以上の治療を希望されなかったため亡くなりました。
その時に、救命センターでの医療水準と一般病院の医療水準の大きな差があることを痛感させられました。
救命センターでの当たり前の治療は一般病院では重荷になること、救命センターで生きることができても、一般病院では生きられないこともあるのだと。
同じ頚髄損傷でも、こんなにも予後が違うということも実例があると非常によくわかります。
ドクターカー
僕の中で最もテンションがあがる瞬間はドクターカー出動でした。
ドクターカー出動で多いのは、交通事故や墜落などの外傷で、事故の覚知と同時にドクターカー出動も依頼されます。
一分一秒を争う可能性があるので、オーバートリアージ(意外と軽傷)であることもよくあるのですが、出動する際にはどんな症例だろうかと想像を巡らせながら出動します。
ほとんどのケースは、現場から近い救急隊が先に患者さんに接触し、現場や患者さん情報を送ってくれますので、それを基に最短かつ合理的な手順をイメージしながら現場に向かいます。
患者さんと接触する際には、救命のために最も重要な呼吸・循環(酸素が取り込めているか、血圧は保たれているかなど)を確保した上で、できる限り早く病院へ連れ帰ることになります。
※外傷性心肺停止でドクターカーを要請された際には、現場で与えられる救命処置は10分以内だと教わりました。
つまり、①気管挿管②中心静脈路確保③両側の胸腔ドレーン挿入④エコーで心嚢液が溜まっているならドレナージ
※もちろん瞳孔の確認や、目立った外傷の有無の確認も10分以内です。
現場でできる処置はせいぜいこの程度のものですが、いかに迅速かつ正確にこれらを短時間でこなせるかで救急医の腕が決まります。
これができるようになったと認められない限り、ドクターカーには単独で乗せてもらえません。
ドクターカーを単独で許可してもらえるまでに15か月かかりました。
それまでには大小さまざまな経験をし、時には涙も流すこともあり、人生で一番頑張った時期だったと思います(受験の時よりきつかった)。
ドクターヘリが華やかで、憧れる人もいるでしょうが、僕の中ではやはりダントツでドクターカーです。
ドクターヘリは一度離陸すると患者さんに触れることすらできなくなりますので、ただの同乗者状態になってしまいますので、ドクターカーが心熱くなります。
ドクターカーで連れ帰る際にも、刻一刻と患者さんの状況は変わりますので、救急車を走らせながら処置を追加したり、時には救急車を止まらせることも必要となります(たまたま僕の経験では救急車を止まらせる必要性は出ませんでしたが)。
病院に帰るまでにも、病院のディレクターに電話で緊急手術や処置を素早くするための患者情報を送ります(医療ドラマみたいですが、あんなに華やかではありません、むしろ血生臭い世界だと思います)。
病院に到着後も患者さんの救命処置・手術に継続して参加しますが、この際最も患者情報を握っているのはドクターカーで出動した者ですので、患者さんの命運を左右するのは自分、という思いを持って活動します。
そんな熱い熱い救急時代に戻りたいかと言われると、もう二度と。。。と思っております。
通常勤務だけでなく、当直と言われる連続36時間勤務を月に7回。
休日も担当患者さんの処置や手術でだいたい6時間は勤務しているという状態でした。
時間外勤務は月に150~200時間が当たり前。
当時に一緒に勤務させていただいていた先生方は、まだ救急医をしておられます。本気で尊敬しています。
あれこそ本物の救急医だと思います。僕にはあの生活を続けることはできませんでした。
今なら週に1回くらいなら(日勤から当直帯の24時間程度)できそうですが、36時間連続勤務はもう無理です。
縁起でもありませんが、災害が生じた際には力添えをと思っておりますので、救急時代の遺産を食いつぶさないように毎日のようにイメージトレーニングはしております。